カテゴリー別アーカイブ: ミャンマー

Gokhteik鉄橋を渡ってみた

「Gokhteik」ゴッテイクと読むのかよくわからないが、ミャンマーがイギリスの植民地だった頃、マンダレーから中国の昆明まで鉄道を引く中で、1903年に作られた鉄橋です。

2015年11月24日に初めて渡ってみました。

つい最近まで橋脚の高さで世界一でしたが、2005年にフランスにもっと高いのができ世界2位となりました。今インドで世界一になると言われる鉄橋が建設中なので、まもなく世界3位になりそうです。

世界2位とはいえ約100年前、1903年に作られてから約100年間ずっと世界一だったことがすごいですよね。だた鉄道も含めてですが、ほとんどメンテナンスしていないようなので、いつ壊れるかわからないという怖さもあります。列車は歩く速度で通り向けました。

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山岳部の鉄橋と聞いていたから周りは深い森の中にあるのかと思っていましたが、全く違いました。そもそもピンウールインを出てから車窓に広がる景色は広大な畑でした。広大な高原地帯で、その一面に畑が広がっているのです。線路際には、おそらく勝手に生えたと思える小さなひまわりのような花が延々と広がっていました。

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畑があるから橋の手前にも民家がありました。家の向こうに橋が見えますよね。

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廃墟じゃなくてちゃんと子供がいました。

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鉄橋の両側共に高原地帯です。この広大な高原地帯にそんな大きくない川があってこの川が長年の侵食によって谷間が出来たようです。つまり高原地帯のど真ん中に大きな谷ができているわけです。

橋は高原地帯から少し下ったところにかかっています。橋に近づくと少し下の方に鉄橋が見えます。この場所から大きなSの字を書くように進んで近づいていきます。

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ここから橋を渡るまでは超徐行です。止まりながら少し動いたりしてゆっくりゆっくり進みます。線路が痛んでいるので、脱線しないようにしているんだと思います。でもそれは我々観光客には嬉しいですね。折角何時間もかけてくるのだから、あっという間に通り過ぎられると残念ですから。

S字に旋回しながら橋に近づくので、右に左に何度も橋が見えます。そしていよいよ橋の手前で列車は停止します。どうもここは駅のようです。駅だから一定時間留まるだけですが、まるで観光客向けに下車しての写真タイムを取ってくれているようです。

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いよいよ出発です。発車したらすぐに橋を渡り始めます。ゆっくりゆっくり、人がゆっくり歩く程度の速度で進みます。ゆっくり進むのは橋が古くて危ないからですが、我々にとっては写真やゆっくりスリルを味わったり、遠くを見たり、谷間を見たり、観光客向けにわざとゆっくり通過していると感じさせてもらえます。

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渡りきったら近所の若者が我々を見に来ていました。

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ちょっと離れたところにも座って見ていました。

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橋を渡ると再び右へ左へと旋回し向こう側の台地に出ます。

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橋の手前と同じく広大な畑が広がっています。

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橋を渡って最初の駅です。鉄道はまだ続きますが、今回我々はここで降りました。

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先導していたディーゼル車です。

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この鉄道は、1日ごとにマンダレーとラショウを行き来します。つまり我々が乗ったこの列車は、この日はラショウで止まり、翌日、橋を逆向きに渡ってマンダレーに戻るようです。

ティラワ経済特区のセミナーに参加

ティラワ経済特区のセミナーは昨年春に聞いてから1年経つので現状を知りたいと思いセミナーに参加した。

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昨年聞いた時は第一期工事の整地が雨季の前の4月(2014年)に終わるとのことで、実際に2月末に行ってみたら確かに整地の最後の仕上げの感じだった。10月には完成し、現在44社(22社は日本)が契約済みで、11社は建物の建設中だそうだ。そして第二期工事に着手しているようです。

この経済特区の開発を行っているのは、Myanmar Japan Thilawa Development Ltd. というミャンマー政府と日本政府は10%ずつ、40%はミャンマーの会社などと日本の会社と銀行が出資して作られた会社ですが、その社長でCEOの梁井崇史氏の話が一番興味深かった。

この方は日本の首相やミャンマーの大統領はもちろんミャンマーの期待を一心に受けている方だが至って気さくで面白い。特にミャンマーの期待が大きいという説明やミャンマーの歴史には熱の入った説明だった。

他の方の話を含めてだが、ティラワ経済特区(以降、SEZ)は、簡単にいえば工業団地だが、東南アジアの工業団地は工場のみの開発ではなくて、従業員の住宅を含めた生活空間、新都市開発である。さらにSEZに入る企業はミャンマー国内にくらべ様々な規制緩和のメリットを享受できるということまでは、ベトナムやインドネシアなどの経済特区と同じです。

ミャンマー国内の規制緩和はほとんど進んでいないが、ティラワのSEZは、ミャンマーにとっては思い切った大幅な規制緩和を行っている。それはここが規制緩和の実験場になっているということだ。将来的にここでの実績を見て、ミャンマー国内のSEZ外の地域の規制緩和を今後進めていく見込みのようだ。

それらの規制緩和の提案は日本の企業(税務関連)が入居希望の日本企業の要望を聞きながら行っている。また政府側にはJICAから派遣されたアドバイザがいて政府側の立場でサポートしている。SEZやミャンマー国内の規制緩和に関する折衝は、実は日本人同士が行っていたりするそうなのだ。

単に工業団地を作ってくださいということではなく、この工業団地を建設し運営するために関連する様々な課題を解決していくことを通じて、ミャンマー全体に拡大していきたいという壮大な取り組みをミャンマー政府から期待されているんだということがわかった。

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ミャンマー語のコードやフォントの現状

つい数年前まで、パソコンではミャンマー語のフォントをサポートしていませんでした。
ミャンマーは長期間アメリカと国交を断絶していたので、アメリカ製であるマイクロソフトのWindowsもアップルのMacintoshもサポートしていなかったのです。

そんなことからミャンマーでは独自のアプリとして、キーボード配列を決め、文字コードを決めて、フォントを作っていました。ですがそれは1つではありません。まず最初に作られたのは、まだUNICODEが一般的でないことに決められたようで、独自コードでありUNICODEではありません。

その後、UNICODEを意識してUNICODE対応版が作られました。これは “Zawgyi-One” という名称のフォントで、いまほとんどのミャンマー人が普通に使っているフォントです。しかし、このUNICODEは正式なUNICODEとはコードは近いですが、違うので正規のUNICODEのパソコンで表示すると文字化けします。

聞くところによるともう一つまた別のUNICODEがあります。”Ayar” これもまた別のUNICODEらしいです。

いずれにしろ、いまミャンマー人が書いたFacebookやメールは文字化けして読めません。海外のニュースサイトなどはミャンマー語のフォントを正規のUNICODEでWEBフォントの形で使っているので、世界誰でも文字化けなしで閲覧できますが、ミャンマー人が普通につかっているパソコンで入力された文章を閲覧すると文字化けします。

現在、ミャンマー人が普通に使っているほとんどは、正規のUNICODEではないので、PCもMacもiPhone/iPadも文字化けして読めません。

ミャンマー語がアメリカの国交が回復した後に出たWindows8からサポートされたし、MacもLionというバージョン以降サポートされています。つまり周りは準備OKですが、肝心のミャンマー人が古いまま使っているので、なかなか解消しません。

メールやLIneで日々使っているわけですから、ひとりだけ変えるわけにはいかないので、順次普及は無理で、ある日何かのタイミングで一斉に変更しないといけないことになりますが、どうでしょう。一時的に両方が切り替えるなどの方法でないと無理ですね。

私は、現在使われているコードを正規のコードとして認めざるを得ないと思います。

このへんミャンマー人の技術者はどう考えているのか、政府などはどう考えているか聞きたいですね。

Windows8以前の場合、ミャンマー人が使っているソフト、いまでも事実上標準のソフトを使えば、古いコードのシステムが使えます。私はミャンマーに行った際に、ミャンマー人が一般的に使っているというCDを入手しました。「Win Myanmar System」と書いてありました。これをインストールすると、キーボードドライバーからフォントまでセットになっています。

ミャンマーの問題(ロヒンギャ)を調べてみた

調べたきっかけは以下の2015年5月18日の ロヒンギャ族が難民化 大量漂流 のニュースです。

ロヒンギャ人は、民族としてはベンガル人でベンガル語をしゃべり、宗教はイスラム教の人たちで、バングラデシュの国民の多くと同じですが、彼らは過去にいろいろな事情で、当時のヤカイン王国、現在のミャンマーのヤカイン州に移住した人たちです。ミャンマーからもバングラデシュからも受け入れを拒否されていて、無国籍の民となっています。80〜100万人居ると言われています。

ミャンマーのヤカイン州は、ミャンマーの西部の山脈の西側であるベンガル湾に面した地域です。ここは古くはヤカイン族というビルマ人の土地で、いまのミャンマーとは別に独自の王国がありました。現在のヤカイン州を中心に南はヤンゴンあたり、北は現在のバングラデシュ(主にベンガル人)のチッタゴン付近まで広がっていたこともあり王国の傭兵としてベンガル人が雇われていました。

ミャンマーとは1000m級の山脈でさえぎられているため交流は少なくミャンマーの枠組みに入ったのは、最後のコンバウン王朝の時代です。このことは、ヤカイン族はビルマ語をしゃべるビルマ族であり仏教徒であり大きな衝突はなかったと推察できます。

しかし、理由はわかりませんが、コンバウン王朝はヤカイン族を奴隷にしたのか、多量に移住させたので、人口は極端に減って、農地も荒れ放題にになったようです。当時、インドからバングラデシュにかけてはイギリスの植民地になっていましたが、バングラデシュから海伝いにじわじわとヤカイン州も植民地にしました。イギリスが植民地にしたものの農地も荒れている現状を見て、国境付近のチッタゴン(バングラデェシュ)に住んでいた人たちの移住、入植を勧めました。実はその後、ミャンマー全体がイギリスの植民地になったせいか、ヤカイン族がかつての土地であるヤカイン地区に帰ってきました。ところが自分たちの家や土地に見知らぬ人が生活していたことから紛争が始まったと言われます。もともとの住人でありミャンマーの多数派を占める仏教徒であるヤカイン族が土地を取り戻すことで、入植したロヒンギャの人たちは住むところが不安定になりました。

日本軍がミャンマーに進行した際にイギリスとの戦いで、日本はラカインの仏教徒、イギリスはロヒンギャのイスラム教徒を支持して戦わせたことで対立を深めることになりました。ちなみに日本に難民として200人程度受け入れているようです。

軍事政権時代にはアウンサンスーチ氏を支持したことから軍政(ミャンマー政府)から圧力を受けました。

過去のことだけではありません。ヤカインには天然資源が豊富なようで、その利権が絡んでいるとも言われます。たとえば天然ガスが中国にパイプラインが引かれましたが起点はこのヤカインです。ロヒンギャが住んでいる土地をさまざまな資源発掘のために手に入れたいという勢力が裏で紛争を煽っている噂もあります。

もともと住んでいたバングラデシュに戻ればうまくいくような気がしますが、バングラデシュは経済的理由から多量のロヒンギャの受け入れを拒否しているそうです。多量の難民は国境付近のバングラデシュ側に居るようです。また一般のビルマ人の多くは、民族も宗教も言葉も違うので、彼らはビルマ人でないとして国民として認めていない人がおおいようです。逆にヤカイン(ビルマ)族でバングラデシュに住んでいる仏教徒もチッタゴンにて、バングラデシュの中でも仏教徒の地域として認められており強い迫害は受けていないようです。

2015年5月に約2,000人が漂流しているというのは、タイとかインドネシアの人件費高騰のため低賃金で働く人の非合法のニーズがありますので、そこにロヒンギャの人を売り渡すことで儲けようとするブローカの誘いで船でブローカの段取りで不法入国させようとしたのがきっかけのようです。不法入国のロヒンギャを雇うと奴隷のように働かすことができます。彼らは不法入国なので外にでることが出来ません。嫌でも逃げられませんが、もともと貧困者ですから逃げて帰る意味もないということになりますが、奴隷扱いでも今の生活よりましだということなんでしょうか。以前は不法入国も出来たようですが、やはり人権問題なのでタイ、マレーシア、インドネシアは共同で取り締まりを強化したことから、斡旋していたブローカが捕まってしまったので、船で出てきたものの上陸できず漂流しているというのです。

多くの日本企業が不法入国のロヒンギャを直接受け入れることは無いと思いますが、日本企業の下請けをやっている現地企業は雇っている可能性はあります。不法入国を受け入れる背景には、我々が安い製品を求めるから、それが現地企業を圧迫し、低賃金の労働者のニーズが高まっていることが、根本原因と言えます。

ミャンマーでのあいさつ

ミャンマーには日本語の「こんにちわ」に相当する言葉はないそうです。

「ミンガラバー」というは外国人向けに作った言葉だそうで、ミャンマー人同士では使わず、外国人観光客向けの言葉だそうです。

ではミャンマーでは人と人があった時、黙っているのかといえばそうではありません。黙っているのはやっぱり失礼にあたります。ではなんというのか?

いろんな一言を言うそうです。

「どこへ行くの」の「ベートワマレー」とか、「元気ですか」の「ネーカウンイエラー」とか、「久しぶりですね」の「マトエヤダーチャビーノ」とかいろいろのようです。「ご飯食べましたか」の「タミンサーピビーラ」も単なる挨拶で、本気で食べたか食べてないかを聞かれているわけではないので、その言葉の意味する返事を返す必要はありません。

出会った時のシテュエーションとか相手との関係とかで、出会った瞬間に気の利いた一言をいうセンスが問われるようです。

いやあとても難しいですね。

でも観光に行った時はどこでも誰でも「ミンガラバー」の一本槍でOKです。向こうも「ミンガラバー」と言ってきますし。

ただよく考えれば私の近所のおばさんと道ですれ違う時、おばさんは「こんにちわ」とは言いません。いきなり「どこいくの?」って声をかけられます。たいてい「ちょっと」とか「ちょっと大阪まで」と大阪に行かなくてもそう答えます。日本も一緒ですね。

ビルマとミャンマーの呼称

ビルマとミャンマーの呼称については諸説ある

ビルマはビルマ民族のみを表す言葉なのでビルマ人以外の少数民族に配慮してミャンマーという特定の民族を想起しない名称にしたとか。そういう面もあるが、ビルマの研究者によれば、そう単純ではないことがわかりました。

ビルマ(英語読みではバマー)とミャンマーは語源が同じムランマで、口語でなまったのがバマーとビルマ、文語で変化したのがミャンマーだそうです。意味的には、両方ともビルマ民族を表す言葉だそうです。

昔からミャンマーと呼ばれていましたが、イギリスの植民地になった時に、多分口語の発音を聞いて、バマー、同じ綴りをオランダ読みではビルマとなったそうです。当時日本は江戸時代でオランダ読みから日本もビルマと呼ぶようになったそうです。

軍事政権になって政府は、バマーやビルマでしゃなくて、ミャンマーと呼び方を変えてくれ、正確には戻してくれとアナウンスしたことで、日本もミャンマーと呼称をあらためました。

呼称変更の際には「悪い軍事政権が勝手に好きな名前をつけた!」との報道があったりしてますが、それは間違いです。

ビルマ民族はイギリス植民地時代に占領政策として他の少数民族を要所につけたことからいい時代ではなかったので、イギリスの影響を受けたバマー、ビルマという呼称を変えてほしかったということのようです。

なお、ビルマと呼ぶとビルマ民族の国と想起するので、ビルマ民族と少数民族を含めた国だというビルマ民族以外への配慮とも言えます。ただ、ミャンマーもビルマ民族を表す言葉だったということはあります。

ミャンマー民主化運動リーダー(ミンコーナイン氏)講演会に出席

ミャンマー民主化運動リーダーであるミンコーナイン氏の講演会に出席した。ミンコーナイン氏は1988年に全ビルマ学生連盟の議長として民主化運動に参加も逮捕されその後も釈放されるも約20年間刑務所に換金されていたが2012年に釈放され、現在もミャンマーの民主化に向けた活動を行っている方だ。

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アウンサンスーチー氏と共に活動しスーチー氏が憲法の改正に間に合わず大統領になれないときこの方が大統領候補になるような方かと思っていたが全然違っていた。ミンコーナイン氏は政治の世界に入らず民間レベルでの民主化に向けた活動をするのだそうだ。

講演の最初は、刑務所の様子が話された。独房であって誰にも合わずなにも読むものもなく頭の腹が減った感覚だったという。わずか水タバコが許されそのタバコの巻紙となっている小さい新聞のかけらを読んでわずかな情報を得ていたという。同様に逮捕され監禁された人は自殺したり精神病となってしまった人が多いという。

次にミャンマーの現状の説明があった。それは大統領の上に11人で構成される国軍治安部があり、6人が軍人で5人は民間人だが元軍人で構成されているという。議会の過半数は軍が指名した国会議員であり、民主化したと言いながら事実上形を変えた軍事政権だという。
国内では自殺が増えている。ミャンマーの女性は中国の一人っ子政策の影響で男性が増え女性が少ないことから、多量に中国に売られているという。ミャンマーの男性はタイの工場で奴隷のように働かせるために家畜を運ぶようにタイに運ばれているという。

民主化運動を進めている団体は多くあるといい、選挙に出て政治の世界に入って民主化を目指すグループと、民間レベルでの活動を進めるグループがあるといい、ミンコーナイン氏は後者の団体を目指すという。つまり、権力で影響力を与える活動でなく、ガンジーや坂本龍馬のように知識で影響力を与える存在を目指すという。団体組織は縦構造でなく水平構造のネットワーク構造の組織とし、若い次の世代を育てて活動が次世代に及ぶようにしてくという。

当面の活動は、市民のいい加減な対応を正すこと。市民のいい加減な対応とは、政府で防火設備として各家に水と砂を設置することが義務付けられているが、小さな袋に水や砂をいれるといういい加減な対応をしている。それを検査に来る公務員は小さくで役に立たないことはわかっていても水と砂が置いてあると記録し上に報告しているという。
長年の軍政ではなにか不満をいうと逮捕されるといったことがあり、市民は組織で動くことに慣れていなくていまでも怯えていて、問題があっても黙ってなにも言わないようになっているのだという。人権に関しては我慢せず裁判所に訴えるように導きながら民主化を進めるのだという。

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スー・チー氏が大統領を目指しているのに対し、ミンコーナイン氏は選挙には出ないがスー・チー氏が求めている自身が大統領に成れない憲法改正には協力しているという。また質疑応答を含めて聞いているとミャンマー内に何人かの民主化リーダはいるものの彼らがまとまって活動することはないとのことだ。考え方が違うからとのことだ。

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国境付近は面白い

タイと接する国との国境の町を訪れてそのあたりの様子が紹介してある。国境付近に住む人は国境は関係なく交流・交易をしている。そもそも彼らにしてみれば自分たちの仲間(同じ民族)の活動範囲の真中に突然国境が引かれ、こっちの人はこっちの国、こっちの人はこっちの国と分けられたのである。だから彼らは日々国境をまたいで生活しているようだ。
タイとミャンマーの国境のことが主に取り上げられている。

世界の投資誘致策事情交流会に参加(ミャンマー)

「世界の投資誘致策事情」という交流会に参加した。開発途上国政府の若手が日本に、自国に投資を誘致するための研修の為に来日していて、その研修の一つとして日本の企業との交流会である。

後半は、ミャンマーとカンボジアの方と同席した。

ミャンマーではヤンゴンとヤンゴン近郷の情報はあるが他の地区についてはどうだか聞いてみた。

マンダレー、タウンジー、ネピドーについて聞いてみた。マンダレー地区への投資も求めている。タウンジーでは観光客向きのホテルの誘致を求めているらしい。ネピドーは政府機関があるので工場よりもショッピングセンターなどの投資が求められているらしい。

ミャンマーの公務員は裕福らしいので、ネピドーでの富裕層向けのサービス業は適しているかもしれない。

ちなみに参加していたのは、国家計画•開発省、投資•企業管理局、担当官 Khong Thandar Win(タンダー)氏と、商務省通産局、人材開発部、部長補佐のSandar Tun(サンダー)氏だ。

二人とも政府の公務員だが、ネピドーではなくヤンゴンに住んでいてヤンゴンの事務所に勤務しているそうだ。

環インド洋経済圏というセミナーに参加してみた

環太平洋経済圏とは良く聞くが、環インド洋経済圏というのは初めて聞いた。この環インド洋経済圏には、インド洋に面するASEANの国、マレーシア、インドネシア、タイそしてミャンマーが含まれ、さらにバングラデシュ、インド、パキスタン、イラン、イエメン、エチオピア、ケニア、タンザニア、モザンビーク、南アフリカ、そしてオーストラリアなどで構成される。

ASEANはこのインド洋の経済圏とも関係するので、セミナーに参加してきた。

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この地域の国々の共通点は、まずどの国も資源国であること、人口が急激に増加していること、若年層が多いこと、そして民主化された国であることだ。

資源はあるが資源のまま、加工なしで輸出していることから加工して輸出したいと思っている。人材が育っていないので、身近な農業や縫製、皮革関連の生産から行いたいようだ。日本の期待としては、市場として、資源調達国として期待が大きい。

植民地開拓時代は最も注目された地域だがしばらく忘れられていた地域である。そもそも日本は中東の石油を運ぶ通路であるが、最近、関係者によれば最近やっと、政府外務省が注目してきたそうです。そう言えば、安倍首相がモザンビークやマダガスカルを訪問したニュースを聞いたし、つい先日インドの首相が日本を訪問し、安倍首相と会談している。まもなくスリランカとバングラデシュを訪問するなどこの地域の国を頻繁に訪問している。

現実は厳しいようです。法制度が整ってないし、インフラがないし、労働者はいるが工場で働くという経験が無いそうだ。資金回収は難しいので、何かを売る場合は前金で受け取ってから売る必要があるらしい。実際にブームになるにはまだ10〜20年はかかる気がした。

なお、この地域は中国が早くから進出していて、実際に各国最大の貿易国は中国だ。だから新聞報道等では、アフリカは中国が入り込んでいてもう日本が入る余地がないと言われている。しかし、アフリカを25年研究しているという神戸大学の高橋教授に寄れば、日本はODAなどを通じてずいぶん前から深く浸透しているとのこと。支援の質が違うから心配ないとのことだ。