月別アーカイブ: 2014年3月

3回目のフィリピン留学を決めた

4月から再びというか、試しの留学を含めると3回目だが、フィリピン留学することにした。

今回は、セブの学校に行ってみることにした。前回CIPに行くとき、なぜMMBSに行かないのか?と書いたので、今回はなぜCIPでなく別の学校に行くのかについて書いてみる。

まず学校の生活に慣れると、学習に緊張感がなくなってくる。何人かの人に聞いてみると、3か月以上の人はちょっと長すぎたと言うが、2か月以下の人はちょっと短すぎると言う。一般論として、人の生体法則的に2か月がいいようだ。ちょっと短かったなと感じる程度がいいというわけだ。でもこれは初めての学校に行った場合である。同じ学校に行くと、もっと早く慣れて2か月に及ばずに集中力が落ちると思うので学校を変えてみることにした。

今回はTOEICにスコアアップを目的として学校を選んだ。実は、CIPもTOEICの学校としては評判がいいのだが、先の理由で、SMEAG Capitalにした。生徒数400人近くの大きな学校だ。3つのキャンバスがあり、このCapitalはTOEICの学校だ。

セブに決めたの今後のビジネスとも関係する。セブはフィリピンでもITビジネスが盛んなのだ。そのことについて詳しく知れる機会があるかどうかわからないが、すくなくとも雰囲気はわかると思うのである。

現在の私のスコアは、545点なので、500点以上が入れる700点コースが受けることができそうだ。このコースは12週間で700点を保証する勉強内容だが、私は8週間なので、650点以上を目指すつもりだ。650点を超えると、次回は800点のコースに進めるからだ。

CIPでTOEICの先生をしていた人に聞いたら、TOEICにはリスニングと筆記があるが、英語としては筆記はすごく難しい内容であるが、リスニングは英語としては比較的やさしいというのだ。つまり、主にリスニングの強化を行ってみたい。

ミャンマーの仏塔は見せ物じゃない

ここはインレー湖から西へ1時間ぐらい西にあるカローの洞窟にある仏像である。後光という言葉があるが、そのまま仏像の後ろでネオンサインのようにてかてか光ってる。でもここだけじゃない、マンダレーでも見かけたというか、ミャンマー国内の仏塔にはけっこうこのような仏像も見かける。

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周りを光らせているのもある。ネオンのように点滅しながらくるくる回っている。

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下の写真はインディンで修理中の仏塔だ。修理中といっても元の形のままで作り直している。

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以下は置くサガーというところだがここも修復中だ。外は作り替えているが、仏像は修復している。

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外側は仏像の家みたいなものだから新築でもいいのである。肝心の仏像は昔のままの仏像を修復している。でも元の色にしたりはない。そんなことにはこだわらないようだ。

白熱電球が仏像の前に垂れ下がっていても関係ない。見た目じゃないお祈りする為の明かりだから、前に垂れ下がっていることはどうでもいいのである。

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日本で思っている仏像というもの、その仏像の修理、お寺の修理方法、遺跡の保存方法という感覚はミャンマーとは全然違う価値観であると感じさせられる。

日本人は葬式には仏式が多いが決して仏教徒とはいいがたいが、ミャンマー人は多くの人が毎日仏像にお祈りをしている本当の仏教徒だ。よって仏教徒でない日本人が仏像についてあれこれ言う資格はないと思う。

ティワラ経済特区に勝手に行ってみた(3)

ティワラ経済特区の左下、南西の端でなにやら運ぶ少女を見つけた。どこにも民家は見当たらないのだが。

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まだ農地だったころの民家を見つけた。数件のみ残ってる。豚が2匹がいるのでここに住んでいるようだ。売ったけど住んでいるのか、売らずに頑張っているのか。

この地区の住民は、100mx10mぐらいの農地あたり「だれかわからない人」に、30,000チャット(3,000円)程度で売ったそうです。むちゃくちゃ安く叩かれているが、かなりの貧困だったので、見たこともない札束を積まれて目が眩んだそうです。
代替地ももらえず、農地を失った農民はもっと苦しい生活となり、安さに気づいたようです。「だれかわからない人」に売ったので文句(訴訟)を言う相手が分からない。(これは聞いた噂です)

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道端で工事関係者向けに飲みものなど売っている光景もあった。昔の農民がやっているようみ見えた。

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飼い主の居なくなった牛が水たまりで草を食べていた。

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経済特区の陰にさらに不幸になってしまったの影が見えた。

ティワラ経済特区に勝手に行ってみた(2)

ティワラ経済特区の周りを紹介する。

ヤンゴンからティワラ経済特区に行くには、バゴー川を渡らなければならない。この川はミャンマーを縦断する川ではなくて、ヤンゴンの北東側から来て、ヤンゴンでエーヤワディー川に合流する川だ。川としては短いが川幅はこの付近ではエーヤワディー川より広い。この川を渡る橋が以下の橋だ。中国の支援で造られた橋らしい。真ん中を列車の線路があるが、片道1車線であり、ティワラ経済特区ができたら狭すぎるし、おそらく強度も弱い。したがって日本資本で架け替える計画がある。

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橋を渡って右へ右に行くと、海側に沿った道に出る。この道と海との間にはミャンマーの有力企業の建物がつながっている。以下は日本から輸入した中古車を荷下ろしした会社であるが、この会社の前を線路が走っていた。

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上記の会社の玄関先に線路がつながっていた。

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第一期工事の北側には、ティワラ経済特区の開発を行っている合弁会社の事務所があった。

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先の事務所の北側には、工科大学ができていた。今のところ周りに何も無いので、学生は生活に困っているそうだ。

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ティワラ経済特区に勝手に行ってみた(1)

ティワラ経済特区というのはミャンマー政府が日本に対してミャンマーの支援として経済特区の開発を頼まれた場所で、ヤンゴンの南東、川を渡ったとことにあります。

通常、この建設に関わったガイドも同行して見学に行く訳ですが、私は観光がてら、開発計画の地図を頼りに勝手に行ってみました。2013年3月1日のことです。

以下の通り、過去のサイクロンの記録を参考に高潮の影響を受けないように盛り土をしていました。ここは第一期工事の場所で、雨期に入るまでに盛り土の工事を終了する予定で進んでいるそうです。実際、頻繁にダンプカーが土を下ろしていました。

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ここが日本とミャンマーが共同で進めている経済特区の工事現場であることの看板がありました。

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この場所、聞いていたのは海の近くでしたが意外にはなれています。上記写真の工事現場から振り返ると、以下の風景になります。遥か向こうに港があり、海の位置が確認できました。目測ですが5kmぐらい離れているように感じます。

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この工事中の場所と海までに以下のような道路が延々と通っています。

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海添いにはミャンマーの大手の会社がつながっていて、空きはありません。
以下は、ヨーロッパの豪華客船が停泊しています。ここからミャンマー各地に観光に行っているそうです。手前の車は駐車場ではありません。日本から中古車を輸入したもののミャンマーで中古車の価格の暴落で、輸入手続きができていない車です。もう業者は引き取る気はないので、ミャンマー政府が処分する見込みらしいです。

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ラオスにはどんな会社が向いているのか(2014年ラオス視察報告2)

ラオスは内陸の国で港がありません。大河であるメコン川があるので、海から船で上がってこれないのか?というふうに思いますが、実は、このメコン川、ラオスの南部のカンボジアとの国境付近で、幅が50kmに及ぶほど横に広がって浅く無数の滝になっているのです。つまり、船を通すのは不可能なのです。

陸路は整備されつつあり、「東西経済回廊」と呼ばれる道。ベトナム中部のダナンからラオスのサワナケットを経由して、ミャンマーのモーラミアン(未完成)まで開通予定だ。ラオスのサワナケットには日本がODAでメコン側に橋を作っているので、メコン川を超えることは問題ない。タイからならすでに使える状態なのだ。

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*東西経済回廊のメコン川に架かる橋。日本のODAで建設された橋だ。

物理的につながっていても国間の規制があり、どこの国の車も自由に通過できるわけではない。実際、タイのトラックがベトナムに、その逆もむつかしいらしい。だた、ラオスは、ベトナムともタイとも隣国ということで自由に出入りできるそうだ。つまり、ベトナムとタイを行き来できるのは、ラオスのトラックなんだそうだ。

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*ラオスにある運送会社のトラック

いま一番話題は、タイプラスワン、つまり、タイにある日本の会社は、タイの人件費の高騰と、洪水の問題から少し離れたラオスに工場を移したいと考えている。しかし、いきなりラオスに移転するには労働者の数とレベルから全部はむつかしい、そこで人件費が問題となる工程のみをラオスに移そうというものである。

ラオスに移した時の問題は、人件費は安いが輸送コストが余分にかかる。ということで、総合的にどちらが安くつくかを将来動向を含めて計算する必要がある。

しかし、ラオスで海外向けの工業製品を作って海外に売るのは無理がある。材料の輸入と輸送、製品の輸送で輸出と往復で輸送コストがかかってしまうからだ。また人口が少なく分散しているので大規模にできないことも理由だ。

ベストなのは、ラオスで調達できる資源を材料として、加工製品化して海外に売ることだ。ラオスで調達できる資源とは、金・銀・銅などの鉱物。水資源。穀物・野菜だ。これらを使って、高級品。つまり、薄利多売でなく、高級品を作って、高く売るのだ。オーガニック野菜についてはすでに取組が行われている。

ラオスの労働者はどうなのか(2014年ラオス視察報告)

2014年3月3日~3月8日までラオスの視察ツアーに参加しました。その中で今回は労働者としてのラオス人について私が感じたことを書きます。

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*ラオスで取れる綿花から日本の着物を作り、日本に輸出している。(2014/3/3)

まずラオスは国土の多くが山岳部高原部です。したがって高地の高原地帯で焼畑農業をしていた歴史があります。多くの国では、肥沃な場所は限られており、その肥沃な農地付近に集中して大きな集落、町があり、そこに人口が集中していて、周辺はほとんど人は住んでいないですが、ラオスは違います。

ラオスは、国土全体が肥沃な土地であることから、基本的に集落は小さく、国土全体にまんべんなく住んでいます。したがって情報交換は少なく、肥沃であるがゆえに地震や台風などの災害もないことから作物が安定しているので、衣食住に不自由はなく、国土が広いので土地を奪い合うようなこともないので、近所と争うこともなく穏やかに過ごしていて、人的交流も少ないので情報もなく特にほしいものはなく、それなりに非常に長い時間、豊かに穏やかに暮らしてきたという歴史があります。

近年、タイのTV放送が衛星を通じて見れるようになり、あらたな娯楽を獲得しました。結果、いろんなものが欲しくなってきたようです。つまり、昔は欲しいものがない、だからお金がいらない、仕事をする必要がないという状況でした。それば、欲しいものができた。手に入れるためにお金がいる。お金を得るために仕事をしたくなった。というのです。

でも実際仕事すると、農業のように明るくなったら働き始め、ちょっと疲れたら休み、誰かが訪ねてきたら農作業を中断し話をし、話がつきたらまた仕事をする。夕方になってしまえば明日すればいい。このような働き方になんら疑問をもたない。だから工場で働くのは大変です。朝遅刻してはいけない、休んではいけない。疲れたといっても休憩時間以外は休めない。

ラオス人にとって働き方が大きく変えなければなりません。したがって、そのような訓練を時間をかけて行わないといけません。

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*タイで作っている部品の一部工程をラオスに移し、タイの女性工場長を連れてきて生産している。労働者は機械のごとく働いている。(2014/3/7)

特によく聞くのは、遅刻、無断欠勤、無断早退が多いそうです。仕事の形態によっては、それを認めていつでも代替要員を確保するか、厳しく指導して解雇も覚悟してそれをなくすかは、それぞれの会社の事情で決めなければなりません。

訓練では、工場で働くということの習慣づけとともに文字の学習指導も必要だそうです。識字率が低いことと、少数民族は別の言葉や文字を使っているからです。

よくラオス人に限らずですが東南アジアの人間は言ったことしかしないとか、工夫がないとか言われます。では日本人はそんなに優秀ですか?私は言ったことしかしない、工夫をしない日本人をすごくたくさん知っています。工夫して言わないことも率先して行う日本人はまれではないでしょうか?

つぎに人材募集ですが、各地に出向いて地域の有力者にお願いして説明会を行う必要があるそうです。実際に説明会を開くと本人ではなくて両親が聞きに来るそうです。理由を聞くと、ラオスでは人さらいが多い歴史があるようです。どこかで人を募集しているということで出向くと、そのままトラックに乗せられてどこかに売られていったそうです。だから、地元の有力者に説明し、まず有力者におかしな会社ではないことを説明し、その後両親に説明したうえで、本人の面接になるというわけだ。

実際に雇用が決まってもほとんどの人は自宅から通勤はできないので寮を完備することになります。先に書いたように住居が分散しているので、自宅から離れたところで働くことになります。仮に工場に近い人でも交通網が整備されていないことも理由です。

なお寮は民族ごとに分ける必要があるそうです。別の民族とは同じ家に住めないそうです。でも現状では狭い部屋であること、複数人詰め込むことは問題ないようです。

多くのラオス人は6人平均ですが、農繁期以外は4人おれば日々の農作業はできるということで、2人の労働力が余っています。したがって、従来通り農作業をしながら工場で働く人ではあるようです。ただ問題は、工場で働ける人は実はすでにタイの工場に働きに行っているのです。

ラオスは人件費が安いという理由で工場を作っても、どうせ自宅から通勤できず寮生活なら、給与の高いタイに働きに行くということです。何等かの事情で、タイに行けない人がラオスの工場で働くことになります。

元々人口が少なく、住居が分散していることに加え、多くの労働者はタイに取られれていますので、あまり確保できません。したがって大人数を必要とする工場は無理です。首都のビエンチャン付近でもせいぜい数百人でしょう。

まとめると、

1.ラオスは人口が少なく分散しているので、1,000人を超える労働者を必要とする工場は無理です。

2.労働者の募集は、各地域の有力者を訪問説明して、その地で採用面接などをする必要があります。

3.雇用したら民族の数だけ、別棟の寮を用意します。

4.雇用したら数か月研修を行い、遅刻、無断早退、無断欠勤をしてないけないことを教えます。

5.字の読めない人には作業に必要な文字を教えます。

*勤務時間などについて徹底するために継続的な指導が必要です。

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*ラオスの高地でオーガニックトマトの栽培をしている。トマトを収穫しているのではなく、オーガニックトマトの種を生産している。

ミャンマーの視察(マンダレーとタウンジー)

2014年2月21日〜3月3日まで、ミャンマー国内の視察を行った。

実はミャンマーは今回で3度目だ。前回は、関西大学院社会人連合のツアーに参加し、ヤンゴンの日本大使館、工業団地などの視察を行った。

日本大使館では、ミャンマーの民主化は本物であるとの感触を聞き、日本企業がミャンマーに進出して利益を上げることは自由の出来るとの回答が得られた。この背景には、ミャンマーの数人の軍の幹部がミャンマーの有力な会社や事業に関わっていて独占状態であるからだ。

ミャンマーは独裁者が権力を持っている段階でしりぞき、民主化を図った。多くの国は独裁者の権力が落ちてきた時点で、国民のデモやクーデターによって独裁者が引き摺り下ろされ、独裁者は惨めな姿で死刑になったりする。しかしミャンマーは違う。独裁者が10年前から民主化のスケージュルを作り、その工程表にそって薦め、最後に工程通りに退いたのである。

会社訪問では、名古屋のコンピュータ会社がいち早く進出していて、急速に大きな会社になっている。ミャンマーには優秀なIT技術者が豊富だ。コンピュータ学科を卒業した男は国内に仕事が無ければ、可能な人はタイヤシンガポールに出稼ぎに行く。しかし、家庭の事情や、特に女性の技術者は国内にあふれている。そんなときに会社が募集をかければすごい人が応募してくる。100人募集をかけたら3000人が応募してきたのだという。社員は90%が女性だ。上記理由で国内には女性のIT技術者が豊富なのだ。

今回はマンダレーに行ってみた。ミャンマーがイギリスの植民地になったときの都で、国王も居たところだ。現在は2番目だがかつては首都だ。人口都市なので、王宮を中心に碁盤の目のような道になっている。ヤンゴンのような喧噪は無いが待ちは奇麗で豊かに感じられる待ちだ。ヤンゴンはブームのせいもあって住宅などが高いが、マンダレーはそのようなことはない。マンダレーの国際空港はマレーシアのクアラルンプールやタイのバンコクからの飛行機があるので、日本からのアクセスも良さそうだ。この町を拠点にしてもいいなと思ってきた。

マンダレーの次がインレー湖だ。観光地で有名だが、その周辺はとても豊かな感じがする。特にカクー遺跡はパオ族の村だが途中の州都タウンジーはシャン族の地だ。ちなみに、ミャンマーで中心部の平野に住むのはビルマ族だ。家並みも同じ形のデザインの家が建ち並ぶ、いずれも奇麗で比較的新しい。新築中の家もとても多く目立つ。民主化によってなにかとても豊かになっているような印象を受けた。私の滞在拠点としてはこのタウンジーもいいなと感じた。

2日目は湖を南下してみた下流にダムができたので、その地の寺院や仏塔が湖に沈んだようだ。わずかに残った当時の高台に合った仏塔がわずか残っており、そこにトタン屋根の復興した寺院が経っていた。ほんと田舎だ、静かでのどかだ。ここに居ればなんの問題も無く過ごせる気がする。精神的につかれたらこの地で静かに時を過ごすもの良さそうだ。