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声が少し出るようになってきた

先にも少し触れたがミャンマーから帰国した翌朝のことである。あ!声が出ない。全く出なかった「あーあ」が精一杯。帰国の翌朝だったから11月30日のことだ。

その日のうちに病院に行ったら吸入タイプの咳止めを使った後、うがいをしていないと声が出なくなることがあるとのこと、ミャンマーではほとんどうがいはしていなかったので「それか」とそれなりに納得。医者によれば一週間で回復するとのことだった。

最初の一週間は大変だった。女房には声が出ないというのは知っているのに、電話がかかってくるとそのことを忘れて、私に電話を取り次ぐのだ。私は電話を聞いて返事するが声が伝わらない。直接なら「はーあー」という息だけでYESは伝わるが、電話で「はーあー」と言っても電話には乗らない。何度かあって、電話があるとそばで対応してもらえるようになった。

一週間経過したがまだ声な出ない。息だけだった声は、「あー」ぐらいは出るようになったが「かー」は出ない。「あ」は出るが「か」では英語で言う「K」だけで母音の「あ」が出ない。

病院で伝えると内視鏡で声帯を見てくれるという。医者曰く「声帯が炎症を起こしていて、周りに白い幕ができています。しばらくかかりそうですね」治療はないそうで、自然治癒を待つしかないという。

まあとにかくなぜそうなんたのかはわからないが、2週間目にはもうこのまま声が出なくなってしまうのではないかと不安になってきた。咳が止まらないので、声帯を刺激するからちっとも回復しないではないかと思ったがそれは直接には関係ないというのだ。

ひどい咳と、声が出ないのには参った。3週間目の先週、今の病院で肺炎であるとの診察で入院したわけだ。肺炎の治療をしても声は出ないので同じ病院の耳鼻科で診てもらった。診断は同じだ。咳とは関係ない。自然治癒に2〜3か月はかかるというのだ。

今日で入院一週間目だが、咳はほぼ止まった。声はひどくかすれて入るが、1か月目で少しは音声が出るようにはなった。

肺炎で入院してしまいました

実は私、ミャンマーに行く一週間前から咳がひどくなっていました。だから旅行中も咳が頻繁に出ました。出発直前には喘息持ちなので風邪と重なってひどくなったんだろうと思い耳鼻咽喉科で咳止めの薬をもらっていきました。しかし旅行中は咳がおさまることはありませんでした。
元々喘息持ちなのと、熱もなく、食欲もあるので、深刻には考えずにひたすら咳止めを試していました。あれ!いつもと違うと思ったのは、帰国の翌朝、声が全く出なくなったのです。すぐさま耳鼻科にいきますと、咳止めの吸入薬を吸った後うがいをしないと声帯に影響することがあるというのです。しかし、その薬を止めて一週間経過しても症状は変わらずです。
一度、肺のレントゲンと血液検査をしてみましょういうことになりました。結果、肺に曇りがあり、好酸球がとても高いということで、好酸球肺炎の可能性が有るというわけです。
呼吸器内科の病院に行くと、即日入院というわけで、クリスマス前の22日から約1ヶ月入院することになってしまいました。
好酸球というのはアレルギー性のもののようです。私は毎年、秋から春まで咳がよく出ます。以前の診断では、秋に飛散する物質でアレルギー症状なんだろうと言われていて、仕方無いなあと思っていました。そして昨年末には、ひどい咳が約一週間続いたことがありました。後で、肺炎を起こした痕跡がありますと言われました。今考えると、あの時も同じ肺炎を起こしていて、その時は短期に回復したんだろうと思います。好酸球肺炎はきちんと治療しないと再発すると聞きました。昨年のが再発してひどくなったんだと思います。

一ヶ月の入院、肺炎だから基本的には絶対安静、部屋から出てはいけない。今の時点で外出はとんでもないという。しかし、薬が効いているので、咳も止まり、確実な治療方法に沿って治療しているという安心感もあり、比較的元気だ。
しかしこの入院中にはいろいろ勉強しなければならなかった。というのは、昨年春からビルマ語の勉強で大阪大学に毎週一回行っているし、10月からは日本語教師の資格取得のために週3回通っている。これらの遅れを入院しながらも遅れないようにと気が張っていたが、ビルマ語の方は先生にお願いして、今年度は終了とし、来年後期から改めて行かせてもらうことにした。日本語教師の学校の方は休学制度があると聞き、春まで休むことにし、休学届けを出した。

とはいえ、ビルマ語は後期になって、ちょっとついいていくのがしんどくなっていたので、十分に予習し、また語彙も増やして、会話能力もアップして、来年の後期には少々余裕をもって授業を受けたいと思う。
また、日本語教師の方は480時間というものすごい授業量なので、いくら休学とはいえボォーとはしてられない。いずれにしろ、来年10月には検定試験があるので、それはなんとか受験しなくてはならないと思う。というのはその試験は、毎年1回なので、来年を逃すと約2年後になる。2年めの私の年は64歳8ヶ月で、65歳までにあと2回しかチャンスがない。65歳になるまでに今後やることを見つけるといった目標が遠のくからだ。あの日本語教師の検定試験は結構難しいと聞くので、一回では合格は難しいという含みもあってのことだ。

実はこれだけじゃない。私の目標は海外滞在なので、英語の能力も高めないといけない。JICAが求める最低限、TOEIC 600点はクリアしているが、なんとか750点をクリアして余裕を持ちたい。だからTOEICの勉強も必要なのだ。TOEICでは何が問題かというと、広範囲あるPart7の長文解釈だ。昨年までは、Part5 を集中的に勉強することで、600点を超えたが、これ以上はPart7の攻略が必須だ。TOEICは日本人のための資格で点数を持っていてもしゃべれないとか言われてきていて、少々バカにしていたが、よくよく考えると、JICA等で仕事するなら、会話より英文が読めることが大事なことがわかった。会話は世間話ができればよく、実際の会議なら通訳を伴えばいい。しかし配布される文書は、いちいち人に読んでもらって教えてもらうわけにはいかない。自力で読めないといけないのである。TOEICのPart7の英文は、試験のためだけでなく仕事する上でも読めなければならない英文なのだ。たとえ現在の600点でもいいかもしれないし、たとえ700点超えてもある英文が読めないことの方が残念なのだと気付くに至ったからだ。

またもう一つよけなこともしている。スリランカのシンハラ語だ。日本語によく似た言語で、もしかしたら日本語と同じ先祖の言語かもしれないという。こちらはスリランカに観光に行く時、簡単な言葉は喋りたいということで、挨拶を中心とした実用会話と文字も練習している。これがなかなか面白く、実ははまっている。

今まで、英語の他に、中国語、ベトナム語、インドネシア語、ビルマ語とかじってきたが、ビルマ語はなんとか本気になれた。そしてシンハラ語も本気になれそうだ。とにかく両方とも日本語に近いというがモチベーションを高める結果となっている。言語は同時に複数を勉強することは、昔は悪いとされましたが、ビルマ語の先生によれば実は良いことなんだそうです。

まあとにかく、1ヶ月の入院中、4つのことを並列して、各1〜2時間ずつやっている。学校のカリキュラムのように、毎日4科目勉強しているわけだ。言葉の勉強は、作業以下することが大事だ。作業化すると毎日続く。そして余計なことをしないことだ。余計な雑用をしない環境、それは病院だ。入院して安静を求められているし、物も少ないので、持ってきている範囲でしかすることはできない。とてもいい、自宅だとどうしてもあれこれとしなくていい雑用に追われるからだ。
まあとにかく一週間でペースも定まり、毎日勉強が進んでいる。さてさていつまで続くかですがね。

Gokhteik鉄橋を渡ってみた

「Gokhteik」ゴッテイクと読むのかよくわからないが、ミャンマーがイギリスの植民地だった頃、マンダレーから中国の昆明まで鉄道を引く中で、1903年に作られた鉄橋です。

2015年11月24日に初めて渡ってみました。

つい最近まで橋脚の高さで世界一でしたが、2005年にフランスにもっと高いのができ世界2位となりました。今インドで世界一になると言われる鉄橋が建設中なので、まもなく世界3位になりそうです。

世界2位とはいえ約100年前、1903年に作られてから約100年間ずっと世界一だったことがすごいですよね。だた鉄道も含めてですが、ほとんどメンテナンスしていないようなので、いつ壊れるかわからないという怖さもあります。列車は歩く速度で通り向けました。

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山岳部の鉄橋と聞いていたから周りは深い森の中にあるのかと思っていましたが、全く違いました。そもそもピンウールインを出てから車窓に広がる景色は広大な畑でした。広大な高原地帯で、その一面に畑が広がっているのです。線路際には、おそらく勝手に生えたと思える小さなひまわりのような花が延々と広がっていました。

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畑があるから橋の手前にも民家がありました。家の向こうに橋が見えますよね。

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廃墟じゃなくてちゃんと子供がいました。

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鉄橋の両側共に高原地帯です。この広大な高原地帯にそんな大きくない川があってこの川が長年の侵食によって谷間が出来たようです。つまり高原地帯のど真ん中に大きな谷ができているわけです。

橋は高原地帯から少し下ったところにかかっています。橋に近づくと少し下の方に鉄橋が見えます。この場所から大きなSの字を書くように進んで近づいていきます。

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ここから橋を渡るまでは超徐行です。止まりながら少し動いたりしてゆっくりゆっくり進みます。線路が痛んでいるので、脱線しないようにしているんだと思います。でもそれは我々観光客には嬉しいですね。折角何時間もかけてくるのだから、あっという間に通り過ぎられると残念ですから。

S字に旋回しながら橋に近づくので、右に左に何度も橋が見えます。そしていよいよ橋の手前で列車は停止します。どうもここは駅のようです。駅だから一定時間留まるだけですが、まるで観光客向けに下車しての写真タイムを取ってくれているようです。

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いよいよ出発です。発車したらすぐに橋を渡り始めます。ゆっくりゆっくり、人がゆっくり歩く程度の速度で進みます。ゆっくり進むのは橋が古くて危ないからですが、我々にとっては写真やゆっくりスリルを味わったり、遠くを見たり、谷間を見たり、観光客向けにわざとゆっくり通過していると感じさせてもらえます。

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渡りきったら近所の若者が我々を見に来ていました。

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ちょっと離れたところにも座って見ていました。

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橋を渡ると再び右へ左へと旋回し向こう側の台地に出ます。

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橋の手前と同じく広大な畑が広がっています。

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橋を渡って最初の駅です。鉄道はまだ続きますが、今回我々はここで降りました。

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先導していたディーゼル車です。

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この鉄道は、1日ごとにマンダレーとラショウを行き来します。つまり我々が乗ったこの列車は、この日はラショウで止まり、翌日、橋を逆向きに渡ってマンダレーに戻るようです。